2007年8月23日木曜日

とにかく何か・・できること 「音楽」



母は音楽・・主にクラシックですが好きなので、1人部屋で思いっきり好きなクラシックを聴いてもらおうと、デザインCDを購入しました。


オレンジとかグリーンとかカラフルな色があったのですが、カラーはブラックにしました。病院では「黒色」は「死」の色ということで敬遠されますが、緩和ケア病棟ですので、まあ大丈夫とのことでこのCDデッキを購入しました。

中国製です。結構、音がクリアで音量も出るので気に入りました。

さらにクラシックのCDを10枚ほど買いました。モーツアルトにJ.S.バッハ、メンデルスゾーン、ショパン、シューベルトなど古典派とロマン派の巨匠のオムニバスを買ってきました。
タイマーセットもできるので、便利です。
母も喜んで聞いています。ただ、音楽を聴いていると目を瞑るので、寝ているのか聞いているのかわからなくなります。
ちょっと不安になったので、母を呼ぶと眼をパッと見開いて、何やら考え深げな顔をします。
でも好きな曲が聞けてうれしそうな母を見て安心しています。

2007年7月23日月曜日

初めて口にしたハーゲンダッツ


ホスピス病棟に移ってから早速、ハーゲンダッツのアイスクリームを買ってきました。

バニラ・ストロベリー・クッキー&クリームを買ってきて、バニラを食べさせました。

スプーンにすくって、母に食べさせると、「おいしい。」と一言。こんなにおいしいものは久々に食べた、と漏らしました。母は昭和のはじめに生まれてますので、「ハーゲンダッツ」という銘柄を知りませんでした。アイスクリームは「雪印」だと、未だに思っています。札幌鉄道病院に入院したのが6/7ですから、約2か月ほど口に何も入れてなかったわけです。

その後は、次々に「・・が食べたい」と言ってくれるようになりました。

「キウイ」が食べたい、と言うので、キウイを小さくカットして口に持っていくと、「おいしい。」と一言。あんみつや、桃、グレープフルーツやぶどうなどを次々に食べるようになりました。

人間は、何か1つでも楽しみを見つけると、それがどんな些細なものでも「生きる」意欲が生まれるものだ、とつくづく感じました。

あまり多くは食べられませんが、母から自分の言葉で「・・したい」と聞くことは、息子にとってとてもうれしいことです。

母から「ラドクロアの妻のことが知りたい」と言ってきました。知識欲がでてきたわけです。

早速、家に帰ってインターネットで調べてみることにしました。

2007年7月22日日曜日

ホスピス病棟の看護師さんとの打ち合わせ


「ホスピス」には2通りあって、1つは専門の施設に患者さんが入ってもらうもの、もう1つは在宅ホスピスです。
どちらも考え方は同じです。末期で治療が医学的に不可能な場合、患者さんの不安を取り除き、自分の好きなことをしてもらい、家族との交流を通じて残りの人生を少しでも有意義にしてもらうことです。治療はしませんが、精神的な苦痛の緩和、肉体的苦痛の緩和の処置は行います。具体的には前者がカウンセリング、後者が薬投与による痛みの緩和です。

本来、死を迎える患者さんの90%は自宅での死を望んでいます。家族に看取られて最期を迎えたい、という気持ちが高いのも当たり前です。しかし、現実的には在宅では「痛み」の緩和措置ができないことや、急な変調にすぐ対応ができない理由から在宅ホスピス自体が少ないのも事実です。

私は母がホスピス病棟に移った後、担当看護師のKさんと面談をしました。

今後のケア看護の計画を立てるのです。と言っても詳細な計画と言うより、看護師と家族との考え方のコセンサスを取るといった感じです。

まず病状の確認。食道癌が食道全体に張り巡らされ、癌性腹膜炎・癌性胸膜炎で腹水・胸水が溜まっていること。余命が夏を越せない、と判断されており、本人は知らされていないこと。栄養・水分はすべて、点滴から得られ口からの栄養摂取が皆無なこと。小水は尿道からの管から排出され、腹水は胃に通したPEGから排出されていること、などです。

また今後の計画として、ボランティアさんなど人との接触機会を増やし、自分の好きなこと・興味のあること・楽しいことを自分から進んでやりたい、と思えるような環境を作ることを話し合いました。
とりあえず、オーディオを持ってきて、母の好きなクラシックを終日流し、K看護師さんからは、病院の食事をまったく摂取していないので、好きなもの・食べたい物を舐める程度で構わないので口に入れてみよう、と母に一緒に話しました。


2007年7月20日金曜日

ホスピス病棟への引っ越し


母を一般病棟からホスピス病棟(ケアセンター)へ引っ越しです。川崎井田病院のケアセンターは、増床のため、迷路のように入り組んでいます。
先に婦長さんに案内されてケアセンター2階の部屋へ案内されました。

今までとは違い1人部屋です。しかも無差額とは言え、非常に広い感じがしました。

ソファや箪笥、トイレまで備え付けられています。
取りあえず、一通り、ふき掃除をして母を迎える準備をしました。
母を移動後に、ケアセンターの担当看護師さんに、ケアセンター内を紹介されました。ホスピス病棟は、「治療」はしません。すでに末期の患者さんに、少しでも精神的に楽な生活をしてもらい、家族とのコミュニケーションを取ってもらえるように工夫されています。
イベントルームには、5脚のテーブルにキッチンが備え付けてあり、そこの書籍・ビデオ・DVD・CDは貸出自由です。
家族ルームが2部屋あり、畳敷きの6畳間で、急な泊まりにも対応しています。
リラックスルームには音響設備が完備され、自由に音楽を楽しめます。もちろん、ランドリー設備もあります。
プレステ2が置いてあるゲーム部屋や、驚いたことに「喫煙室」がありました。
一般的に病院はすべて禁煙です。しかしホスピスでは、患者さんがヘビースモーカーの場合でも、自分の好きな銘柄の煙草を自由に吸えるように部屋を設けているのです。その部屋にはパチンコ台も設置してありました。
部屋はもちろん1人部屋ですが、携帯電話も自由です。
家族と気軽に連絡できるように、電話は備え付けてあるのですが、電話を取るのも難しい患者さんも多いので携帯電話で、家族とのやりとりをしてもらうようにしています。
でも連れてきた母の表情はあまり芳しくありませんでした。

2007年7月19日木曜日

ついにホスピス病棟へ移動

川崎市立井田病院には「ホスピス病棟」があります。
病棟名称は、「ケアセンター」と呼ばれ、末期癌・白血病などもう治療が不可能な患者に対して精神的にケアして、家族との交流を密にしてもらい、やすらかな死を送る病棟です。

担当医師と看護婦長から、ケアセンターのベッドが空いたので金曜日に移動する旨を知らされました。
母は未だ、自分の余命については知りません。
母に「ケアセンター」のベッドが空いたので移動することを伝えると、「私の死に場所だ。」と一言つぶやきました。
それに対して、私は何も言えませんでした。
「そんなことないよ。」と言いたかったのですが、母の顔には「死」に対する覚悟たるものが見て感じられたからです。

ケアセンターは全室個室で、20ベッドの無料個室と、3室の有料個室があります。有料個室は高い場所で19、500円/日します。保険に入っていない私は、ちょっと心配でしたが、病院側で無料個室の空きがあるまで待っていたと、後から知らされました。

「ほっ」としたと同時に、空きがある、ということは誰かが無くなったと言うことです。複雑な気持ちになりました。

2007年7月18日水曜日

点滴の限界

母は既に「癌性腹膜炎」「癌性胸膜炎」を併発しており、食道癌も食道全体から内臓全体に転移してきております。生存に必要な栄養は、すべて点滴で賄っています。
現在、点滴は左右の手首から摂取しています。そのため、手の自由が制限され、同時に栄養摂取効率が高いために首の大静脈より点滴をするようにしました。
首から摂取することで、左右の手の自由が効きます。

母には手術前に私から、「今より元気になるように、首からの点滴に切り替える」と告げました。

点滴手術は、病室内で行える簡単なものです。ただ母の血管が細い為、2回目にして管を通すことに成功しました。

札幌で入れた胃のPEGは、癌性腹膜炎による腹水を排除する管として残しております。
小水も尿道に通した管で行っています。

とにかく元気がありません。
自分の好きなことすら、億劫がってやろうとしません。ほとんど、管だけで栄養摂取と排泄をしている現在、自分の死を意識しているかのようです。

ほとほと困りました。

2007年7月16日月曜日

今、母にしてあげること・・PART2

母のために何がしてあげるか?どうしたら喜んでもらえるか?

母は最近、もの想いに耽ることが多くなりました。睡眠も1時間ぐらいしか取っていません。流動食もほとんど、口をつけない状態です。

「何を考えているの?」と尋ねると・・「昔のこと・・」と呟きます。
母の好きなものを考えてみました。

母は昔から絵が好きでした。自分でも水彩画をよく描いていたと聞いています。母の好きな絵は「印象派」の画家たちです。でもゴッホのような強烈なタッチの絵は好きではありません。

もっと優しい、やわらかなタッチの絵を好みます。

私は「モネ」の名画集を買ってきて、母に見せてあげました。


母はモネの絵では、「印象」よりも「睡蓮」が好きなようです。モネの親友だったルノアールも大好きな作家の一人です。ルノアールのあのやわらかで、ふくよかな人物像を見ると、心がほっとするそうです。

ルノアールの絵画集も買いましたが、まだ見せていません。母はもう自分で画集を開こうとしなくなりました。大好きな絵画も見るのが億劫になってしまったようです。それでも、私が見舞に行って、画集を開くと母は「私も見たい」と言ってせがみます。

1ページづつ開いては見せて、母と絵画について話すこととなりました。

母は2人の作家の他には、モジリアニが好きです。

モジリアニは薄幸な画家です。死後はじめて絵が認められました。でもルノアールと共通する何かがあります。ほんわかとした雰囲気、ふくよかな人物、特に胸から上を描くモジリアニを見ると、その人物になりきったように感じられるそうです。

モジリアニの画風は、どことなく「にじみ」があって、水彩画のような柔らかさと単純な構造の中に人物を浮かび上がらせるポートレートのようなイメージがあります。背景は極端にデフォルメされ、でも大胆な色使いをすることで、その人物の心すら表しています。
私は数枚の名画ポスターを買うことにしました。
母が家に来た時に、いつでも眺められるようにしたかったからです。