2007年6月29日金曜日

末期癌患者とその家族・・看護と医療の在り方

今回は「看護」の在り方について述べたいと思います。
母が札幌鉄道病院に入院するに到り、入院病棟の担当看護師Tさんには大変お世話になりました。

担当看護師さんはかなり若い方でしたが、母も「明るい」「気さくに声をかけられる」と満足しておりました。

末期癌の場合、患者本人とその家族、医師と看護師の連携は非常に重要です。母は自分の病気が「食道癌」であることは知っていましたが「余命3~6か月」とは思っていません。でも当然、多大な不安があります。また自分も今後、どのようにケアをすべきか、インターネットや書籍で調べましたが、不安は払拭できません。「医療」の立場では、末期癌では手の施しようがなく、治癒回復は不可能ですから、いかに「痛みを和らげ」「日常の毎日を過ごしやすく」できるかになります。

特に自分の場合は川崎で母が札幌ですから、一番、接触しているのが担当の看護師さんです。看護師さんの役割はたくさんありますが、特に大切なことの1つとして、患者本人とその家族との感情のケア・・コミニューケーションだと思います。

遠方同士のために担当看護師Tさんは何度も、自分の携帯電話に母の病状や今後の方針を知らせてくださいました。

若い方でしたが、「私は一生懸命やります。なんとかお母さんとご家族の希望を叶えてあげたいんです」の一言には、看護に対する情熱を感じました。


大変にハードな職業ですが、良く気を使っていただき、末期癌の母も救われたと思います。
後日、担当看護師さんからは、遠方に家族がいる末期癌で、しかも遠方の病院へ移動するのは稀なケースであり、T看護師自身もかなり悩んだと聞きました。
昔はほとんどの家族が自宅で死を迎えました。しかし現在では、90%の末期癌患者が自宅で死を迎えたいと望んでも、実際は84%の患者が病院で亡くなるそうです。
そんな時に信頼のおける看護師さんに担当されることは、その患者・家族ともに幸運と言えると思います。

2007年6月28日木曜日

食道癌末期 ケア医療PART2・・胃瘻(PEG)

母は食道に「ステント」という管を通したのですが、やはり流動食を受け付けません。「ステント」のリスクは約3点ほどあります。

1つには胃と食道の弁を通じてしまうため嘔吐感があること。2つ目に「ステント」も管ですので、次第に体内でずれてしまいます。3つ目には「ステント」自体が流動食などで詰まってしまうことです。

仮に詰まってもも胃カメラのようなもので洗浄すれば良いのですが、「嘔吐感」は個人差があり、母には受け付けないようでした。特に横になると「嘔吐感」がひどく、そのたびに胸をさすって上半身を起き上がっていました。

また在宅介護をするとなると、点滴は素人では難しく、必要な栄養素・水分の補給を考えなくてはいけません。そこでPEGを実施することになりました。

胃瘻(PEG)とは胃壁に穴をあけ、やはり管を通して、体外から直接に胃の中に栄養素・水分を送り込めるようにする処置です。幸いにして母は「胃」「腸」は健康なので、この処置をすることになったわけです。

PEGにもたくさんの種類がありますが、手術自体も簡単で30分程度で終了します。また、3~4日ほどで胃への直接摂取が可能になるようですので、早速実施したのですが、やはり受け付けません。
むしろこのPEGから「胃液」「腸液」が逆流してしまう状態です。
このとき母は、24時間点滴をしていました。必要最低限の栄養素・水分の確保のための施術ですが、点滴のリスクは個人差はありますが、「眠ることができない」「点滴によって胃液・腸液の量が多くなる」ことです。
次に考えたのがこのPEGを小腸にも伸ばそうと考えました。

2007年6月27日水曜日

食道癌末期のケア医療PART1・・経皮経食道胃管挿入術

母の食道癌は末期で施しようもない状態でした。
食道全体に腫瘍があり、食道全体を圧迫して食物はおろか水分さえ飲めない状態です。

さらに胸部リンパにも転移しており、各器官への転移は時間の問題です。余命は3か月~半年と言われました。

手術も無理、放射線治療も無理。なぜなら癌に対するこれらの治療は部分治療で、早期癌(転移していない状態)の場合は、その部分だけ切除・放射線による癌細胞破壊が可能ですが、転移がひどい場合はそれを全部の器官に施さなければならず、実質不可能です。「治療による快癒」の可能性がゼロですので、後はいかに苦しまないように過ごせるかが、ケア看護の重点課題となります。

札幌鉄道病院さんではまず流動食でも口から摂取できるようにして、体力回復を図るために、経皮経食道胃管挿入術を施すこととなりました。経皮経食道胃管挿入術とは、「ステント」と呼ばれる人工的な管を食道に通して、食道壁を広げる手術です。

身体にメスを入れること無く、胃カメラのようなもので口から挿入するもので、施術が簡単なのですが、胃と食道の弁も通じさせてしまいます。
胃は食物を消化するため胃酸を発生させます。また食物の胃の滞在時間も長いため、嘔吐をおこさないように、胃と食道の節には弁が付いています。下には食物が通りますが、胃から上には弁のために逆流しない仕組みなのです。その弁がない状態になるため、吐き気を催すのがリスクと言えます。
この手術を実施した母ですが、確かに流動食は口から摂取できるようになりましたが、やはり必要な栄養素は点滴で賄うしかない様子でした。

2007年6月25日月曜日

川崎での病院探し

川崎に母を連れてくるといっても、受け入れの病院がありません。

札幌鉄道病院の担当医師に紹介の依頼をしましたが、関東の病院は全く知らない、とのことでした。

北海道では、北海道大学医学部、旭川医科大学、札幌医科歯科大学の派閥が大きく、大抵の医師はこの3校出身者です。医師同士の繋がりやコネクションも北海道内ならある程度効きますが、関東に行くとまったく通用しないことがわかりました。

しかし、そんなことも言っておられません。

インターネットで調べると、以下のホスピスがあることがわかりました。


とりあえず電話。
しかしあえなく撃沈。

末期癌患者はなかなか病院も受け容れたがらないことがわかりました。病院のベッドも大抵は満室状態。空き待ちを申請するしかありません。

ネットで探していると、あるサイトにぶつかりました。

「癌に対する相談電話」で、そこにたまたま電話したとところ、担当の方が川崎市立井田病院を紹介してくれました。M先生にお会いしたら良い、とのことで、明後日10:00にアポイントを取ることができました。


札幌鉄道病院からお借りしたレントゲン写真と、病状紹介状を持って、井田病院の受付に行くと、井田病院側ではとんと話が通じておらず、「おや?」といやな予感がしました。
でもM先生にお会いでき、食道癌末期で、在宅で介護したいこと、ターミナルケアをして、母の精神的な支えをしたい旨を語りました。

M先生は快く引き受けてくださり、一旦、一般病棟に入院の形を取って、その後の経過を診て看護計画を立てようと言ってくれました。

後から判ったのですが、M先生はこの病院でもかなり上の方で、井田病院の紹介の経緯を話すと、川崎市の「癌相談ダイヤル」だとわかりました。

ほとんど、飛びこみ状態で井田病院のM先生にお会いしたことがわかり、非常に幸運でした。
この病院はターミナルケアセンターがあり、ホスピスにもかなり積極的に力を入れている病院です。
札幌鉄道病院の担当医師と担当看護師も、「普通は1か月ぐらい待たされるのに、とてもラッキーでしたね」と驚いていました。
末期癌患者の受け入れ先が少ないこと、また全国の病院のネットワークが無く、地域的に閉鎖されている現状が、はじめてわかりました。これだけ、インターネットが普及しているのですから、医師同士のネットワークも今後、拡大していけたら良いのに思います。


2007年6月23日土曜日

母の家・・引っ越し

母を川崎の我が家に連れて行くために、実家を引っ越すことに決めました。

昔の古い箪笥や、母の使っていた鏡台、自分の勉強机など、かなり古く痛んでおり、母に断って処分することにしました。狭い我が家に大きな家具は置くスペースも無かったのです。

札幌市のごみ回収に電話をかけると、担当のかたが親切に教えてくれました。大型ごみ処理手数料シールを生協やコンビニエンスストアで購入して、処分品の見えるところに貼り付け、所定の場所に置くと言うものです。


家電関係では、掃除機・電子レンジも粗大ゴミ扱いで回収しており、洗濯機・冷蔵庫・テレビは家電リサイクルセンター扱いということもわかりました。大型ゴミの種類によって金額が異なり、大きな箪笥などは1300円、机などは500円、掃除機は200円と決まっており、あらかじめ電話をして尋ね、札幌市さん側で4桁の数字コードを教えてくれるので、シールに記入します。

母の居た実家を整理していると、様々な品物が出てきました。

埃の被った新聞紙に包まれているのは何か?と開封してみると、鯉のぼりと兜が入っていました。

昔、祖母が買ってくれたものです。子供のころの思い出がよみがえりました。

また母は、自分の小学校・中学校時代に自分が学校で描いた絵や、彫刻などをすべて押入れにしまっていました。

母が若いころからの母宛の手紙もすべて保存しており、改めて思い出を大切にする気持ちが痛いほど伝わってきました。




2007年6月17日日曜日

痩せた母の姿






緊急で飛行機を手配し、妻と一緒に札幌に向かいました。



母が入院したのは、「札幌鉄道病院」といい、札幌駅から徒歩7分ぐらいの場所にあります。JR北海道が経営している総合病院で、現在、リニューアルを計画中とのことでした。母は北病棟の一番奥の共同病室に寝ていました。



母はちょっと驚いた様子で、開口一番、「すまないね。」と言いました。母の周りには、伯母や叔父夫婦が見舞いに来ており、眼で私に覚悟を訴えていました。


病院の担当医師と担当看護師から、母の病状について説明されました。


食道癌は食道全体に拡大し、食道全体を圧迫して水さえ通らない様子です。すでにリンパに転移しており、左胸部および左下腹部に腹水の兆候がみられる、とのことでした。末期癌のため、手術も不可能、放射線治療も不可能ということで、ターミナルケアを施すしかないと言われました。幸いにして痛みは無く、胃から下の消化器官は健康なのが救いです。ターミナルケアは、末期癌など治療の可能性の無い患者に対して、「痛みを緩和」し、「精神的なフォロー」をしながら、残されたわずかな人生を少しでも有意義に生きるためのケアです。また母には食道癌であることは告げていますが、末期で余命が僅かであることは告げられていません。まだ生きる希望が少しでもある方が良いとの判断です。
母の僅かな人生のために、「ターミナルケア」をしようと決意しました。

2007年6月15日金曜日

食道癌の告知

自分は川崎在住の40歳男性です。転勤で東京に異動して早17年になります。

実家の札幌の母のことはほとんど構っていませんでした。たまに電話をするぐらいです。

10月頃実家に帰り、母の顔を久々に見ましたが、痩せて小さくなったイメージでした。74歳の母は年金生活で、最近は向いにあるセブンイレブンで、総菜などを買って食べていると聞きました。母の日にはカーネーションを通販で送り、母に電話をしたところ、やはり元気でやっている、と返答が返ってきました。まさか・・数週間後にこんなことになるなんて、思ってもみませんでした。
6月13日、母方の親戚から20時30分頃に電話がありました。叔父からの電話でした。叔父は冷静さを保つように、「心を落ち着けて、よく聞きなさい。」と切り出しました。
母が食道の末期癌で、余命が3か月~半年、と言われました。全身に震えが襲ってきて、母の顔がチラつきました。

頭がくらくらして、数分間は言葉が出てきませんでした。
6/6に倒れて入院し、検査を繰り替えした結果、6/12に叔父が病院に呼ばれたそうです。皮肉にも自分の誕生日でした。